03.緑道と私の家族


私たち家族が港北NTに住み始めたのは1983年39年前の夏でした。

住宅整備公団などの団地が出来はじめた初期の入居で、引っ越してみるとほとんどの住居はまだ売れていなくて、紙のカーテンのままのがら空き状態でした。造成真っ最中の周囲の土地や道路もブルドーザーやパワーシャベルが元気よく働いていました。

娘は近くの緑道で自転車に乗る練習し、あるイベントで緑道に近所の仲間たちとカフェを開いたことも思い出です。緑道の一部には「マムシ注意」の立て看板があり、巨大なオニヤンマがせせらぎに沿って何度も往復していました。

そんな緑道全体を意識して歩くようになったのはこのコロナ禍から。さらに言えばMAPつくりのために緑道を歩くようになってからです。

 

かすかな音とともに新緑が芽吹く春。色濃く茂る木々が照り付ける太陽を遮ってくれる夏。それがやがて燃えるような紅葉の秋に変身し葉っぱを落とした枝先の長い影が地面に落ちる冬が来ます。水の流れや風の流れの音を聞き、季節の変化を感じながら歩く緑道が、そのまま生活圏内にあるのを実感します。

 

さて、2年に渡る緑道MAP作りでしたが、入稿が終わって、ほっとしてお茶を飲みながら外を眺めると、窓の左端から右端向かって数百メートル先に大きな送電線が通っています。「この送電線の高い電圧は、どこからどこまで送られているるのかなぁ。」そういえば送電線下の途中の道路に変電所もあります。ここで電圧を下げて各家庭に送られるのでしょうか。今度は送電線を追ってドライブや散歩してみたいと思うこのごろです。

(michi記)

30年前の緑道キャジャカフェポスター
30年前の緑道キャジャカフェポスター